反資本主義・生活デザイン課

やりがいのない仕事を逃れ、芸術的に生きるための知と実践。

コーヒー好きがスーパーで野菜を買わなくなった話

 こんにちは、反資本主義・生活デザイン課の風見好日(カザミ コウジツ)です。料理ができません。小さい頃から家の料理も手伝わずにきたので、「煮立つ」って何?とか、「水 2カップ」って何のカップ??とか、そういうレベルです。

調理に1時間かけるとかも信じられなくて、少しでも調理時間を短縮して、残りの時間を仕事や趣味に使いたい...と思っているタイプです。

せいぜいがパスタ茹でて味付けするだけ、とか、チーズトーストとか。あとはひたすらフルグラで繋ぐ感じで。

 

 

 他方で、数年前からコーヒーを愛好していて、勢いでドリッパー、ソーサー、ミルを揃えちゃいました。最近はエチオピアのイルガチェフェにハマっています。紅茶みたいにキュッと透き通った香りがたまらないですよね。

 

料理には時間を割けないのですが、コーヒーを淹れるときはめっちゃ丁寧に時間を使うようになりました。ガリガリ豆を挽いているときや、ドリッパーで蒸らして粉が膨らんだときの香りを味わうのが幸せです。

こないだミルを掃除するための小さなブラシを買いまして、豆を挽いたあとのアフターケアというか、メンテナンスもするようになりました。こうやってちょっとずつ丁寧な手際がレベルアップしていくのが楽しいです。

豆を挽いたあと、中に残っているカスをこのブラシで取り除いています。

 

 それで、次に気になったのが、コーヒーフィルターの捨て方

一度でもコーヒーをハンドドリップで淹れたことのある人なら分かると思いますが、粉からコーヒーを抽出したあと、フィルターと一緒に用済みの粉を捨てなきゃいけないんですよね。

で、あれがちょっともったいないなって。

 

品種にこだわって買って、手で挽いて、お掃除もして、じっくり蒸らしたり繊細に抽出したりして……と、こんなに可愛がったのに、抽出が終わったらもう残った粉ぜんぶ捨てなきゃいけないって、なんかちょっとさみしいような。

 

とはいえ、コーヒーかすの活用方法なんて分からないですし...お菓子作りできる人ならクッキーに混ぜたりするのかなぁ??

 

 

……と思ったら、ありました。サステナブルコーヒーかすの活用法

 

 

目次

 

 

mame-ecoさんがコーヒーかすを回収してくれる

 なんと、個人で町中のコーヒーかすを集めて回っている方がいらっしゃったのです。ブルーム・ゲーリーさん、順子さん夫妻がやっている、「mame-eco」(マメエコ)プロジェクトです。コーヒーかすを地域の農家さんに提供することで、京野菜の肥料として活用してくれるのです。

mame-eco.org

 

 マメエコさんは、京都市内の八百屋さんやカフェなどと提携して、店頭に回収BOXを設置しています。

僕は、毎朝淹れたコーヒーのかすを、フィルターのままポリ袋に集めておいて、それを週1くらいで回収BOXに持っていくだけ。

お昼とかに持っていけるので、朝早いゴミ出しよりよっぽど簡単

 

コーヒーかす・フィルターと一緒に、ミルに残った粉も集めておく。

 

 コーヒー愛好家として、使った豆のかすも、余すところなく全部活用したいところ。そこにマメエコさんの活動はピッタリで、僕が味わったコーヒーの残りかすが地元の農家さんのお野菜の栄養へ循環していく*1というのは、本当に気持ちいい。

これぞ愛のある消費かな、と思いました。

 

 マメエコさんの回収BOXがあるスポットはこちら↓で紹介されています。京都市内にお住まいの方はぜひお近くのスポットを探してみてくださいね。

 また、京都以外にお住まいの方も、マメエコさんの活動にご関心の向きがあれば、活動の広め方、始め方の相談に乗ってくれるそうですので、ぜひチェックしてみてください。

mame-eco.org

 

イカした八百屋さんと出会う

 それで、僕が恐る恐る初めてコーヒーかすを持って行ったスポットが、八百屋の「フランク菜ッ葉」さん*2。それこそ地元のお野菜を直で売ってくれています(公式Facebook)。

 前回ご紹介したごみ0スーパー「斗々屋」さんでも回収しているのですが、そちらではフィルターは回収してもらえないようだったので、せっかくならとこちらへ足を運んでみました。

 

お店入口。青いバケツが回収BOX。

 僕は割と人見知りするタイプなので、最初はBOXにコーヒーかすを入れて、挨拶だけして退散したのですが、翌週はお野菜も一緒に買っていくことにしました。

パスタにいつも散らしている刻み葱を、自分で切って用意すれば財布に優しいんじゃないかという企みです。

 

戦利品の長ネギ(300円)。でかい!!

 料理超初心者の僕は、長ネギの青い部分は食べるんだか食べないんだかという話を風のうわさで聞いたことがあるのですが、ちょっと調べたら普通に青い部分も食べられるそうなので、まるごと全部刻み葱にしちゃいました。(その後、大量の刻み葱の保存方法に困ったのはまた別の話。)

普通に考えて、こんな半分以上もある青い部分を捨てるのはもったいなさすぎますよね。

 

 実はこのとき、ネギと一緒にほうれん草もいただいたのですが、そしたら帰り際、店主さんにオマケでおっきな里芋を一ついただいてしまいました。

ひえ~。お店で何かを「オマケ」とか「サービス」とかでもらっちゃうことなんて、ずいぶん無かったので、ちょっと感動。

 

 とはいえ、里芋の調理方法なんて知らないので、慌ててクックパッドを開きまして、簡単な煮っころがしを作ってみました。頑張りました。偉い。

cookpad.com

こちらのレシピを参考に。だし汁とみりんが家に無いので、日本酒で代用。めっちゃ美味しかった。冬に煮物つくるのってこんなに乙なものなのか。

 

 

野菜と一緒に、文化を買う

 というわけで、一介のコーヒー好きが、ひょんなことから地元のイカした八百屋さんに出会い、たまたま里芋なんかももらい、これまで思ってもみなかったような料理に手を出してしまい、生活の仕方が、日々を生きる態度が少し変わるまでのストーリーでした。

 

 僕がコーヒーを好むのは、文化を味わっているからです。

コーヒーって、普通に苦いし、ジュースみたいに「美味しい」わけではない。でもそれは、コーヒーが不味いという意味ではなく、ジュースとは違う意味で美味しいということなのです。コーヒーには、《紳士の嗜み》とか、《朝のひととき》とか、《職人的なこだわり》とか、《農家とのつながり》とか、色々な文化的イメージがブレンドされています。私たちはコーヒー一杯を飲みながら、文化をいただいているのです。

これは日本酒とかワインとか、あるいはビールなんかも同じでしょう。

 

日本人にとっては馴染みのある緑茶、抹茶、梅干し、納豆なんかも、この文化に馴染んでいない外国人からすれば、苦く、酸っぱく、不快に感じられたりするものです。でも私たち日本人は、「この苦味が良いんだよ」とか、「この粘り気がたまらない」とかと言ったりするわけです。

 で、この「良さ」とか「たまらなさ」というのは、ジュースやスナックなどの万人受けするよう作られた刺激的な「美味しさ」とは違って、もっと深みがあるものとして感じられるでしょう。

 

僕はコーヒーという文化を味わう中で、mame-ecoさんを通じて地元の農家さんという文化とつながり、その過程でフランク菜ッ葉さんという八百屋さんに出会い、そこの人たちが生きている文化と触れ合い、(ついでにフランク・ザッパの音楽に、その歌詞に出会い、)冬場に里芋の煮物を作るという文化を味わうところまで連鎖しました。まさに、芋づる式に。

 

スーパーでいつでも買えるような野菜というのは、規格化や箱詰めのために可食部(ネギの青い部分)を捨てられて、全国からトラックで輸送されてきて、それでも長持ちするようにと農薬を投与され、ビニール袋で包まれています。そして当然、自動機械レジで定価取引されて、「オマケ」なんて貰いようもありません。

もったいないし、CO2も出るし、トラック運ちゃん徹夜でしんどいし、農地にも負荷がかかりますよね。何より、おもしろくない。

 

 

一つの文化を味わい深めていくと、他の様々な文化に連鎖していく

日々の生活の中には、こんなにもたくさんの入口が隠れているようです。大量生産・大量消費・効率化の波に揉まれてたくさんの物をぞんざいに流していくのではなく、一つの物に立ち止まって、じっくり時間をかけて味わってみること。

そうすると、少しずつ日々を生きることが豊かになっていくんだなぁと感じました。

 

人間は、文化で呼吸しているからです。

*1:もちろん、最終的なことを言えば、コーヒー豆はアフリカや東南アジア、中南米から輸入されたものですから、究極的な循環をしようと思ったら豆の産地の栄養になる必要があるのですが、まずは身近な農家へ循環させるところから。やるのとやらないのとでは全然違います。世界各地のコーヒー農家にも、また別の仕方でお礼になることができたらいいなあ。

*2:この店名はもちろん、ビートルズと同時期に活躍したバンドマスターであるフランク・ザッパ由来。"Bobby Brown" では、古典的な白人男性のアメリカン・ドリームが現実と食い違っている滑稽さ、しかしそんな滑稽さをなんとなく生きていく生き様を「それでもアメリカンドリーム」と笑う明朗さが歌われています。歌詞を味わうタイプの音楽を久しぶりに聴きました。

www.youtube.com