反資本主義・生活デザイン課

やりがいのない仕事を逃れ、芸術的に生きるための知と実践。

ゆったりマイペースなカフェの時間を大事にしたい

 こんにちは。反資本主義・生活デザイン課の風見好日(カザミ コウジツ)です。大観光都市、京都に住んでいます。

 

 今日、地元の家族が京都に遊びに来てくれました。京阪電車に乗って、京都市北部、山中の貴船神社へ。

 道中、鞍馬寺を中継、ハイキングコースを1時間ほど歩いて、川床で有名な貴船神社まで行楽しました。

山中の由岐神社と立派なご神木「大杉さん」

貴船神社入口

貴船口の駅から見る紅葉

やはりこの紅葉のシーズンの貴船・鞍馬はとても美しくて、目が喜びました。

 

目次

 

 

 

観光地って良し悪し

 久しぶりにいっぱい歩いて良い運動にもなり、大変満足な旅になったのですが、とはいえ良くも悪くも観光地。貴船神社は比較的まだよかったですが、鞍馬寺のあたりは源義経ゆかりの地ということもあって、観光客で大変にぎわっていました。

 で、このようにザ・観光地化することの問題点というのは、やはり《寺社仏閣が宗教的な敬虔の場ではなくなって、観光客向けの様々な商業サービスに囲まれた場所になってしまう》ということ。ちょっと情緒というか、風情が失われてしまうんですよね。これを、「資本が入ってくる」という言い方をします。もっと極端な形になると、「ジェントリフィケーション」*1と言います。

 たとえば、貴船神社へ向かうハイキングコースに入るためには鞍馬寺の門をくぐらなければいけなくなっているのですが、その門を通過する際に入山料を払わなければいけないこと。まぁ、1人300円ほどだったので別に金銭的な不満があるわけではないんですが、受付の方の事務的な対応とか、あと、入山料がわざわざ「愛山料」という名前で書いてあるところとかもひとしおで、ちょっと「う~ん」という気持ちになりました。

 

でももちろんこういうのって寺社仏閣の人たちが悪いわけではなくって、観光客がたくさん来るようになっちゃってるから、一つの生存戦略なんですよね。鞍馬の駅から既に古びた看板が立っていて、「敬虔な気持ちで入山しましょう」みたいなことが書いてある。観光地化してから大量の観光客たちのマナーを律しようと苦労してきた歴史が伺われます。

 

観光地のカフェは選択肢に入れない

 もう一つ。貴船神社からの帰り、パンパンになった足を休めついでに、甘味処に入りました。

おぜんざい。一緒に出てきたしいたけとなめたけのつき出しも美味しかった

ただここも、必要最低限といった感じでした。入店してみて勝手が分からずにいると、女将らしき方がゆらゆら出てきて、脇から若い男の子たちが伺いがちに歩いてくる。いかにも学生バイトといった感じで、そのあとのメニューの指示も本当に必要最低限という感じ。世間知らずの学生を教育する女将さんは大変そうだなぁ、という気持ちになりました。

 

 でもまぁ、これも仕方がないと言えば仕方がない。全国各地から観光客が押し寄せるもんだから、旅館や料亭の側も継続的なサービスを提供しなきゃとなって、人手も足りないから大量の学生たちから補填する。で、学生の側は日々の小遣いとか生活費さえ手に入ればいいという気持ちでアルバイトをする。最初から無理を押してやっているわけで、そこに良質なサービスを求めるのもお門違いといったところでしょう。

 

そう。観光産業って基本的に無理があるんだと思うんです。よっぽど上手くやらないとね。だって、土地を商品にするわけで、その土地にはもともと住んでいる人たちがいるんですから。もともと住んでいる人たちからすれば、外から訪れた人におもてなしをするっていうのは、本来、普段の生活に加えてオマケでやっていることなはずなんですよね。

 そこに、「継続的に安定したサービスを提供しろ」なんて要求をすべきじゃないんですよ。その要求に無理に答えようとすれば、どうしても情緒の無い商業サービスにならざるを得ない。本来のおもてなしって、ちゃんと礼儀と敬虔さのある旅人と、それを歓待する住人たちとの、出会いだと思うんですよね。

 

 だから、カフェ好きの私としては、たとえ観光で来ていたとしても、「カフェに入ろう」と思ったら、観光地のカフェに入るのではなく、ちょっと電車に乗ってでも、町の路地にあるこじんまりしたところとか、生活に密着したところに行くべきだな、と実感しました。観光地のカフェはどうしてもしょうがないときに入るところであって、積極的に選ぶところではないんでしょうね。

 

ほろ宵を味わう一人カフェ

 晩は市中の華、先斗町に向かいまして、地鶏や合鴨、鯛の藁焼き(たたき)がいただける「」さんにお邪魔しました。これが本当に美味しかった...。ほかのお店と比べても高すぎず、先斗町の中では優しいお値段だったのかな、と思いますが、本当に新鮮でほっぺたが落ちそうなものをいただけました...。たまの贅沢って、いいですね。

お漬物、生湯葉春巻き、三種の藁焼き

退店後、家族と別れまして、夜の四条に一人。このまま自宅に帰るのもなんとなくもったいなくて、清酒でぽーっとする頭を夜カフェへと運びました。最初は25時までやっている喫茶ルイルイさんにお邪魔しようかと思ったのですが、あいにく満席だったので御幸町方面へ。前から少し気になっていた1928ビルの地下にあるカフェ・アンデパンダンに入れてもらいました。ちょうど団体さんが入っていて賑やかだったのですが、隅のカウンター席でゆったりお一人様コース。

クレーム・ブリュレとエスプレッソ。あとバタイユ

なんて贅沢な時間でしょう。後ろがなにもない夜だからこそ、な~んにも気にせずマイペースに苦味と甘味をいただき、本を読む。個人的には、酔いが回っている状態だと本がスルスル読めるので気持ちいいです。

 

 

 コレコレ。こういうひとときが日々を潤してくれます。今後もこういう《生活のなかの幸せ》を大事にしていきたいと思います。私たちの生活を守れるよう、明日からまた頑張りましょう。

*1:都市人や芸術家などが田舎の一角に居を構え、その情報が都市部に大々的に宣伝されると、都市人たちがこぞって田舎に押しかけてしまい(「田舎へのあこがれ」とか)、ここぞビジネスチャンスとばかりに企業が参入して、あたり一角を都市人向けに開拓してしまうこと。元々住んでいた田舎の人々にとっては住みにくい環境になってしまう。