反資本主義・生活デザイン課

やりがいのない仕事を逃れ、芸術的に生きるための知と実践。

無力感との闘い①:『資本主義リアリズム』を読む前に

 こんにちは、反資本主義・生活デザイン課の風見好日(カザミ コウジツ)です。

現代社会がどれだけ生きづらい世界かということ、そしてそれを打破するためには資本主義システムそのものを破壊しなければいけないということ。このことを理解するためにカッコウの理論書の一つは、マーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』でしょう。この本は、タイトルの通り、「資本主義を破壊しようったって、他の道なんて無いでしょ、結局は資本主義しかありえないんだよ」というあの諦めとも冷笑ともつかない感覚*1について徹底的に考えた本です。そして最終的に、「資本主義って、思ってるほど当り前じゃない」ということを教えてくれる本です。

www.hanmoto.com

 

 

……とはいえ、私はまだ読んでいないんですけどね!*2

ちょうどこれから読もうと思っていて、そのための気持ちの整理をしておこう、というのが今回の記事です。

 

 

「本を読む前の気持ちの整理?」と思うかもしれませんが、割と大事だと思っています。特に、今回読む『資本主義リアリズム』は、確実に暗い話が待ってるでしょう。「資本主義を打破しようったって、そんな甘いやり方じゃ意味ないぜ」ということをこれでもかと突き付けてくるでしょうから。

 ですから、私たちもこの本を読む前に、それなりに心構えをしておかなければなりません。資本主義社会を前にした無力感を乗り越えるためにこの本を読むんですから、この本を読むことで無力感に飲み込まれてしまっては、本末転倒です

そこで、試しに、(まだ実際に読んでいないのに僭越ながら!)amazonのレビュー*3に対する簡単な批評を通して、無力感に備えてみようと思います。

 

目次

 

レビュー論点①:レイアウトがダメ

「本文のレイアウトは全然だめ。注釈においても、位置と流し方が最悪。」

「詩集か! と我が目を疑った。〔……〕あえてスッカスカの組版にしたうえに、1頁10円という定価設定。なんとも商魂たくましいというか、この出版社みずからが書名の「資本主義リアリズム」を実践しているとしか思えないのは、読者にしてみれば皮肉にもならない。」

……なるほど。どうやら、この堀之内出版から出されている邦訳は、まるで詩集のようなレイアウトになっていて、外形の厚さのわりに本文が少なくなっているようです。このことから、レビュアーの一人は《この本を売り、買うこと自体が資本主義的になってしまっている》と批判しています。

 実際、『資本主義リアリズム』の論点の一つは、《資本主義に抵抗しようとする運動がすぐに資本主義に絡めとられてしまう》という問題です。例えば、エコバッグを大量生産することで環境に負荷をかけているグリーンウォッシュ*4など典型的なそれでしょうね。このことを踏まえれば、同書の販売自体が資本主義に加担しているなど、言語道断でしょう。

 まだ購入してないんですが、とりあえず中古ないし古本屋で買うことは決定かな

 

……まぁ、これは前座みたいなものなんですが。本題はここからです。

 

レビュー論点②:結局この本で人々を動かすことなんてできない?

「この本も、この本を販売しているAmazonもインターパッシヴィティ〔……〕本書は、資本主義リアリズムの問題点や危険性を示唆するようで、実はその行為によって読者は相互受動性に取り込まれている仕組みなのである。」

「本邦の若者に読んでほしいのだが、無理かもしれないなあとの再帰的無能感に包まれてしまう。貸しても、すぐ返ってくるだろう。〔……〕ていうか、そもそもマルクス読んでよ。人新世なんていいから。」

「この本を読んでも資本主義の代替案を構想できず、相変わらず社会の歯車として働くしかない私は、悲しいことにまぎれもなく愚かな人類のうちの一人だと思いました。」

 

 フィッシャーが『資本主義リアリズム』の中で指摘している、資本主義システムの特徴の一つ、「相互受動性(interpassivity)」。つまり、超高速に便利化した社会で、例えばSNSで情報が流れてきていいね!だけ押して流れ去っていくように、お互いが受動的な存在になっていくこと。レビュアーの一人からすれば、amazonで本書の情報を見つけて、気になって読んで、暇つぶしにする、というのがもう、この相互受動性の構造なのだということです。

 また、自称「〔フィッシャーと〕同世代のオッサン」のあるレビュアーは、この本をぜひ若者にこそ読んでもらいたいが、最近の若者には知識や読解能力が不足していて、この本を読むことさえままならないのではないか、と悲観しています。本音を言えば最も古典であるマルクスを読んでもらいたいが、それもかなわないだろう、と。

 また別のレビュアーは、同書に希望がありそうだという展望を持ちつつも、最後は人類の愚かさというスケールでため息をつき、自分も結局何もできない、という懺悔を吐露することで終わってしまっています。

 

 

……言いたいことは分かるけど、バカヤロウ、という感じですね。

 

 確かに、同書を読んだだけでただの暇つぶしに満足してしまうなら、それは本末転倒でしょう。若者が同書をしっかり理解するのが難しいというのもそうかもしれません。また、同書を読み終わったところで、即座に行動を起こすというのも簡単な話ではないでしょう。

 でもさあ、それなら同書を読んでこれから実践に活かしていく方法を考えればいいだけの話でしょう。若者に読んでもらう活動を始めてみればいいだけの話でしょう。ゆっくり行動を起こす方法を調べていけばいいだけの話でしょう。

 せっかく知識も経験もある大人たち、「オッサン」たちなのに、あなたたちが先に悲観的になってどうするんですか。もし冷笑さえしているとしたら、最悪です。以上のようなレビューが《これを読んだからって満足してはいけないよ》という警告として機能するならばよいのですが、もしこれが反対に《だから結局抵抗しようとしたって無駄なんだよ》と受け取られてしまったら、まるで意味がないでしょう。

 資本主義を打破することの難しさを認識するのは、あくまでそれを糧にして資本主義を打破するために、であって、ただその難しさに打ちひしがれて「結局なにやっても無駄なんだ...」という無力感に溺れたオナニーにふけるのは全くはき違えているでしょう。(いや、一晩くらいオナニーして枕を濡らしてもいいんですが。翌朝から勝負を再開しましょう。)なんにせよ、知識は冷笑や知ったかぶりをするためのアクセサリーではない。戦うための武器です。

 

 

 著者のマーク・フィッシャーは2017年に自殺しています。『資本主義リアリズム』では資本主義を打破する希望も語られているはずですが、具体的なビジョンが見えない、というレビューもあります。

「この本には、資本主義に対する詳細な代替案は書いてありません。」

ですが、私は本職の哲学研究や、様々な読書と生活実践を通じて、少しずつ反資本主義のビジョンが見えてきていると感じています。レビュアーの一人は「人新世」ブーム(?)を揶揄していましたが、私の持つ希望は、人新世と無関係ではありません。

 また、具体的な打開策を語らなかったフィッシャーは、希望を開く方法を次のように語っています。

資本主義リアリズムを揺るがすことができる唯一の方法は、それを一種の矛盾を孕む擁護不可能なものとして示すこと、つまり、資本主義における見せかけの『現実主義(リアリズム)』が実はそれほど現実的ではないということを明らかにすることだ

私の中には、資本主義の構造が「擁護不可能」な「矛盾」を持っていることを明らかにする理論が準備できています。これもそのうち記事にしたいと思っています。

 

 

……ということで、フィッシャーの『資本主義リアリズム』を読みましょう、若者よ!私よ!できれば中古で!

*1:「この道しかない(There Is No Alternative. = TINA)」。これは「鉄の女」で有名なイギリスの政治家サッチャー新自由主義政策を強行したときに放った言葉です。このあたりの事情については在日琉球人さんのブログ記事が参考になります。

nationoflequio.hatenablog.com

*2:ちなみに私が同書の主旨を聞き知ったのは、木澤佐登志の『失われた未来を求めて』という本からでした。資本主義とは別の未来、別の世界があり得るということを実感させてくれる点では、こちらの本も素晴らしいです。

www.daiwashobo.co.jp

*3:

www.amazon.co.jp

*4:企業がただ宣伝効果や企業イメージアップのためだけに「エコ」や「環境に優しい」というイメージを利用していて、結局環境に優しくないことをしている、という本末転倒のこと